脱水症状になるまで批評

からっからに枯れ果てるまでアウトプットします。

読んでいない本について堂々と語る方法

本書では、タイトルの通り「読んでいない本について語る方法」が書かれている。

もちろん「読んでいない」といっても色んな状態があるわけだけど、本書では、

1、ぜんぜん読んだことがない
2、流し読みをしただけ
3、人から聞いたことがある
4、読んだことはあるが忘れてしまった

というふうに、自分の持っている情報の段階によって、それぞれの方法論を知ることができる。


友人や同僚と雑談をしていて、ふいに聞いたこともない本のタイトルが話題にあがったときでも、あわてる必要はない。
本書さえ読んでおけば、わずかな情報を手がかりに、あたかも読んだかのように語れてしまうだろう。


ところで、どうしてそんなことをする必要があるのか?


読んでいない本を語ることのメリットはなんだろうか?


そこらへんを明確にするために、まず読んだか読んでないかは別として「本について語る」という行為について考えてみよう。


この記事もふくめて、現代社会には書評があふれている。
なぜ、人は書評をするのか? その動機はおもに次の三つだ。

・純粋に価値のある本をおすすめしたい
・アウトプットすることで記憶に定着するから
・人から賢いと思われたい(一目置かれたい)

ちなみに僕自身は、うえの3つすべてが書評を書く動機になっている。

なかでも「人から一目置かれたい」という下心がなければ、ブログで不特定多数に発信する必要も、今回のようにすでに売れている本を紹介する必要もない。やはり承認欲求はかなり大きい理由なのだと思う。


本を読んでいるというのは、これでなかなかステータスになる。出版業界が危機状態にあるとはいえ、読書家はあいかわらず尊敬されているし、著名人の読書リストが取りざたされることも少なくない。


とくに本をたくさん読んでいる、つまり「多読家である」ということになれば、それだけでインパクト大だ。
一年に10冊の本しか読まないAくんと、一年に100冊の本を読むBくんがいて、他のステータスがほとんど一緒なら、たいていの人はBくんの話をききたいし、Bくんと飲みに行きたいし、Bくんを彼氏にしたいと思うだろう。Aくんは誰からも相手にされず、悔しさのあまり、速読系の本に手をだすことになるかもしれない。

とまぁ、これは暴論が過ぎるとしても、やはり多読神話はいまなお健在で、どんどん新しい速読本が出版されては売れていく。一冊一冊を丁寧に読んでいたのでは孤独のあまり発狂してしまうのだろう。


もちろん、たくさん読むだけでは足りない。
本の内容を面白おかしくアウトプットできてこそ、人気者の階段をかけのぼることができる(と信じられている)。


そういう意味で、本書は究極の速読本ということができるだろう。

なにせ本を読む必要がないのだから、時間のすべてをアウトプットに注げる。読書のいちばんの利点は、スーツや時計や車とちがい、人に実物を見せなくてもいいことだ。たくさん語ることさえできれば「たくさん読んでいる」とみなされる。


では実際に、どんなふうに語るのか?
簡単にいうと「本の内容ではなく自分の知識と経験について」語ればいい。それだけだ。


これは本の話題に限ったことではない。
話し上手な人というのは、まったく知らない(興味がない)話題であっても黙りこくったりせずに、自分がくわしいこと、経験したこととの類似点をさがしだす。そうして最後には、自分の土俵に相手を誘いこんでしまう。他でもない「自分」の話なら、いくらでも語れるというわけだ。


だから「読んでいない本」の話題が出たら、まずはその本について知っている情報を考える。
「どんな人が書いたのか?」
「どんな内容なのか?」
「どういうジャンルなのか?」
それすらわからなければ、タイトルだけでも構わない。

何でもいいから知っている情報をひとつ選んで、「自分が語れること」との類似点をさがしだす。


ここでは仮に『嫌われる勇気』で考えてみよう。


僕は『嫌われる勇気』を読んだことがない。
けれども心理学(哲学?)系の本で、ベストセラーになった、ということくらいは知っている。


この「知っている」をどう活かすかがポイントだ。
たとえば、僕が『嫌われる勇気』について読まずに語るならこんな感じ。

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僕は『嫌われる勇気』に賛同できない。
なぜなら、本書を読んでも根本的な幸福にはいきつくことができないからだ。

とはいえベストセラーになった事実には納得できる。
なぜなら、ベストセラーの条件には、
1、タイトルにインパクトがある。
2、時代の流れに沿っている。
という二つがあって、
『嫌われる勇気』はどちらも兼ね備えている。

1については分かりやすい。
人に好かれるための本が巷にあふれているなか、
「嫌われる」という逆転の発想はユニークだ。
どういうことだろう?とつい気になって手にしてしまう。

それでいて、内容は現代人の理想をうまく汲んでいる。
これが2の要素で、本を客観的に捉えないと見えにくい。
現代は、情報過多により人間関係が希薄になっている。
フロムが『自由からの逃走』で書いているように、
「相対化」と「猜疑心」が原因だといえるだろう。
だから人と関わるよりも内向していく傾向にあり、
『嫌われる勇気』はその傾向とうまくマッチした。

しかし、フロムはそれを「消極的な自由」にすぎず、
孤独をさらに深めていくだけだと看破している。
僕もこの意見に賛同する。
社会との能動的な関わりのなかでしか、
人は自己のアイデンティティを確立することができない。

実際、『嫌われる勇気』がベストセラーになったのも嫌われることへの葛藤が現代人に根深いことの裏返しだ。その原因について追及していかなくては、本当の自由を得ることはできない。

その解決なしに、面倒な人付き合いから逃避したとしても「人嫌いの」社会は依然として人を縛りつけるだろう。

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序盤の「ベストセラーの条件」は思いつきを書いた。適当だけど、そこまで外れてはいないと思う。内容はタイトルから推測しただけなので、できるだけ触れずに、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を引き合いにだして誤魔化すことにした。

これが僕にとっての「語れること」で、あえて反対派の意見にしたのは展開が簡単だし短く書けるから。本意ではないので、『嫌われる勇気』ファンの人は怒らないでほしい。


この例文で示したかったのは、読まずに書いた書評が「他の人とはちがう視点を持っている」という点だ。おそらく、どんな書評を読んでも、うえに書いたような「語り方」をしているものはない。そういう意味で、これは完全に僕のオリジナルの書評ということになる。


『読んでいない本について堂々と語る方法』には、こんな一節がある。

「本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ」


なぜ「読んでいないほうがいい」のか?
それは本について語るのが「人から一目置かれる」ためだから。


人から一目置かれるためには、どこかで聞いたことのある感想レベルでは物足りない。本についてコメントしながらも「自分だけの視点」や「自分だけの言葉」をアウトプットすること。これが教養ある人間と思われるために不可欠だ。

しかし、本をくわしく読んでいると、ついつい内容に引っ張られて、自分だけの視点を持てなくなってしまう。<あらすじ>だけしか語らない書評なんて、すでに読んでいる人にとっては何の価値もない。同じものを共有しながらも、自分でも気がつかなかった見識を教えてくれる書評者こそが本物だ。

だからこそ、あえて読まずに語ることで、自分の知識と経験を無理やりにでも引き出すことができる。
「こいつは他のやつとは違うな」と一目置かれるわけだ。


もちろん、本書に書かれていることをそのまま鵜呑みにするのは危険でもある。
そもそも著者のピエール・バイヤールという男は、「フランス文壇の鬼才」と呼ばれている。つまり、めちゃくちゃたくさん本を読んでいる。こういう無責任さは、寺山修司っぽくて僕は好きだけど、間違ってもありのままを信じようとは思わない。


さらに元も子もない話をすれば、本書は前提として「読んだ本について語ることができる」という能力、もしくはそれ以上のスキルが求められる。自分の知識や経験を総動員するので、基礎的な見識がないと不可能だし、そのためにはやはり、たくさんの本を読まなくてはならないだろう。


僕としては本書を、アウトプットではなく、インプットに役立てる方法をおすすめしたい。


どんな本でも、まず読む前にその内容について予測して、できれば自分の言葉で話したり文章にしておく。それから実際に本を読むことで、読解力は飛躍的に伸びる。考える力のバイブル『知的複眼思考法』にも同じようなことが書いてあるけれど、本を読むときに「自分なりの考え」と比較することは、著者と同じ視点にたつうえで効果的だ。

自分の予想とどうちがったか、どこが同じだったか、を照らし合わせることで、知らなかった知識や、気がつかなかった見識を知ることができる。それがそのまま、その読書の意義になる。記憶に定着しやすいというメリットも捨てがたい。


かくいう僕も、まだ本書を読んでいない。タイトル・裏表紙・目次から内容を予想して、『読んでいない本について堂々と語る方法』を、ひとまず読まずに語ってみた。これから実際に読んでみて、自分の予想とどう違ったか、答えあわせをするのが楽しみだ。


こうやって一冊に時間をかけることを僕は重視する。続けていけば大きな財産になるだろう。それになにより、読書は楽しい趣味なのだから、効率をもとめてはもったいない。